兵法タイ捨流 龍泉館 公式ホームページ
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兵法タイ捨流覚書

丸目蔵人と摩利支天

『兵法タイ捨流は、私(丸目蔵人佐)が久しく摩利支天の秘法を勤修し日夜鍛練工夫した結果、尊天の感応を賜わって忽然として胸中に創出したものである』 ・・・と、「タイ捨流剣術秘書」に書かれている。

流祖に倣い、現在でも宗家龍泉館では『タイ捨流剣術忍心術』摩利支天経を唱え、稽古や演武に入る。

また、摩利支天経の最後に「天清浄 地清浄 人清浄 六根清浄」と唱える。
これは日本古代から山ノ神に奉仕した神仏混合時代の修験者によって伝えられた祓いの呪法である。

心を清め、浄化し、身心共に鍛練する。
これも兵法タイ捨流の作法の一つである。

丸目家の血筋

動乱の戦国時代、信長・秀吉・家康の時代を生き抜き『兵法タイ捨流』を創案した丸目蔵人の『血』は現在も錦町一武の地に脈々と受け継がれている。

丸目蔵人は天文九年(一五四〇年)に八代郡に誕生。
丸目家は伊集院の出自といわれ、もと山本姓で蔵人の父親の代に相良晴広(相良氏十七代)より丸目姓を許される。
十六歳の時に大畑合戦で初陣。
翌年、故郷を離れ天草伊豆守から中条流を学ぶ。
十九歳で京都の上泉伊勢守信綱について新陰流を学び、新陰流門下四天王の一人と目されるようになり、永禄十年(一五六七年)に信綱より印可状を受けたのち帰国し、九州各地に新陰流を広めると共に兵法タイ捨流を創案。

晩年は徹斎と号して一武村切原野に住み、寛永六年(一六二九年)五月七日に九〇歳で亡くなる。
法名は雲山春龍居士、墓は切原野の堂山に。『合掌』

現在でも剣の道を志す人々が墓を訪れます。

丸目徹斎、最後の得物

慶長十年。蔵人佐の同門で先輩の疋田文五郎、大阪城に没。七十九歳。
翌十一年。柳生石舟斎の訃報届く。七十八歳。
十三年。奈良の宝蔵院胤栄が亡くなったという悲報。八十七歳。

身辺とみに寂しさをおぼえる蔵人佐は、七十歳を迎えて隠居を願い出、一武切原野の原野を賜わり、法体となり『徹斎』と号して人吉の城下を離れた。

見渡す限り荒涼とした茅原。
得物を刀から鉈にかえた。

これが丸目家に伝わる丸目徹斉、最後の得物である。
「鉈」というより反りや形状は「刀」に近い。
(丸目千之助氏蔵)

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